ミュージカル刀剣乱舞の鶴丸国永

ミュージカル刀剣乱舞鶴丸周りで気になるのが『パワハラ』『人の心がない』『隠れコミュ障』と言われるところなのですが、どこが!?え!?となったので、なぜその認識のずれが生まれるのかを考えてみました。

(ミュ鶴丸好きじゃない人の言葉の強さ、えげつないですよね……)

 

ミュージカル刀剣乱舞は男性が脚本を書き、男性が演出しています。

ここは重要なポイントです。

男性脚本・男性演出な刀ミュ運営陣は、審神者と刀剣男士――本丸を軍事組織のように捉えています。

ミリタリー物とか、男のロマンが詰まった時代小説物とか、そういう文脈でキャラクターや話を作り上げているんですよね。

女性が作ると本丸のテイストが『学園物』『家族』になったりするのですが、戦争をする上で、学校も家族も軍事組織に敵いません。刀剣男士たちを軍事組織のように構成するのは当然です。戦争中ですから。

 

なので、『上官の命令には絶対』な訳です。

 

上官の審神者が『歴史を守れ』と命じた。

『刀剣男士』は、刀剣男士だからそれに従う。

従わなかったらそれは歴史遡行軍のようなもの。

 

鶴丸がパライソで松井にパワハラしたと言われましたが、彼は当然のことを言っています。上官の命令に従えないのなら、その時点で刀剣男士を辞めなければならない。

行くぞと言われて行けなかったのなら、叱られて当然です。その迷いが歴史を変えるかもしれないからです。

鶴丸は迷っているならそこで見ていろと、そのとき結局は一人で行きます。

この任務、正直なところ松井と浦島がいなくても成立するし、その方が鶴丸も楽だったでしょう。

でも連れて行った。それは二人が刀剣男士として向き合わなければならないことがあったから。

したくないこともしなければならないことを教えなければならなかったから。

鶴丸は誰もが躊躇う憎まれ役をしっかり引き受けてくれたわけです。

 

正論を言われるときついときもある。

でも、「やらなくていいよ」と甘やかすだけでもいけない。

鶴丸は松井のヘイトコントロールを上手くやっています。

正論は自分の役目、慰めるのは豊前の役目。

鶴丸はヘイトを集める役を豊前に押し付けるような男ではありません。

松井は聡いので、気持ちが落ち着いたあと、鶴丸を殴ったのは『当然』ではなく『八つ当たり』だと思うようになっているわけです。

浦島も鶴丸が教えた通り、『本丸で考える』をしたわけです。

 

あんな言い方しなくても!とも言われますが、自衛隊の訓練風景を見てみてください。

自衛隊の訓練風景は、普通にテレビに流れているシーンだけでも、普通の人は馴染めません。普通の訓練でもパワハラに思えます。そういうものなんです。(私も積極的に見たい光景ではないですね……怒鳴り声が当たり前なので)

でも、それだけの訓練をしなければ、戦場で銃を向けあうことができないんです。

 

あと、みんな大好き『報連相』ですが、これって部下→上司にすべきことです。

上司が部下に一々相談してはいけません。

必要な報告や連絡や相談をされ、その上で上司がどうするかを決定し、上司は『適切な指示を出す』のが仕事なんです。

鶴丸や山姥切が報連相しないのは当然です。

適切なタイミングで適切な指示を出すためなら、情報開示のタイミングのコントロールも上司はすべきです。なにがなんでも全部話して全部相談するのは方向性が自分で定められない無能な上司です。

ですが、学校生活においては、家族においては、なんでも話して相談することは大事です。

ミリタリー物の有能な上司と、学園物の有能な学級委員長と、家族物のよき家長は、すべきことが違うんです。

 

鶴丸はミリタリー物として『有能な上司』です。

松井のケアのために豊前も呼ぶし、浦島には優しく声もかける、部下思いの上官です。

鶴丸への信頼絶大だと刀ミュで書かれるのは、鶴丸が皆に認められている有能な上司だからです。

パワハラ』『人の心がない』『隠れコミュ障』と言われますが、それは学園物や家族物の文脈においてはでしょう。

 

ちなみに男(主語が大きいのは承知ですが、そういう傾向があるという話です!)は、自分より弱い男に従えないことが多々あり……部活のキャプテン決めのやり方とか聞くと結構びっくりします。

陸上部なら誰よりも足が速いやつだし、球技だと一番強いやつです。

宝塚の『スター』と『組長』の素質は違う、という女子のキャプテン決めとは違うんですよね……。

なので、双騎の大倶利伽羅鶴丸に初手でボコられたのは、そこが理由です。

鶴丸が大倶利伽羅より圧倒的に強くないと、大倶利伽羅鶴丸の命令に従えないんです。

言葉で言えよという話かもしれませんが、鶴丸は二百年も大倶利伽羅と共にいたので、言葉で言っても従う奴ではないともうわかっているわけです。

なので、そこを省いてさっさとぶちのめしたわけです。二百年の付き合いがあるからこそのやり方ですが。

これを松井と桑名にしていないのに、『鶴丸は新刀に暴力を振るう』と言っている人もいてびっくりしました……。主語大きくないかな……。

倶利伽羅はまだ情緒が未発達ですし(そもそも悔しいも初陣での完全敗北のときにようやく理解したぐらいですから)、あの敗北はただ単に「俺が弱かった」という認識でしかないんですよね。「なぜ」とも思っていない。

あの大倶利伽羅は自分が弱くて負けたことを恨みに思う男ではないですし、「大倶利伽羅かわいそう!」と言われたら苛立つでしょう。

ちなみに「〇〇は鶴丸をもっと殴っていいよ!」はライトに使われてますけれど、それヘイト表現と同じだと思うんですよ……。

主語を自分に置き換えて「私は鶴丸をもっと殴りたい。嫌いだから」と大きな声で言うことはできないでしょう? 凄く強い言葉ですから。

それを刀剣男士にしろと命じる言葉も同じぐらい強いとわかってほしいです。

大侵攻のときのシナリオや三日月の行動には???派なんですが、だからといって「三日月は本丸に帰ったら殴られろ」というツイートが氾濫したときにも、この言葉の強さを理解しているのかな……と思いました。

 

鶴丸が損をするのは、最適解がわかる賢さがあって、躊躇いなくそれで行く決断力があるからです。

同情を誘うために皆の前で露骨に迷ってみせればいいのに、そうしない。自分がどう見られてもいいんでしょう。そういうところはヤケになってる感はちょっとあります……。

だから大倶利伽羅豊前が心配してくれるし、日向は陰ながら鶴丸を支えてくれたんだと思うんです。