刀剣乱舞ミュージカル「静かの海のパライソ」感想文

刀剣乱舞ミュージカル「静かの海のパライソ」ネタバレありです!!

おぼろげな記憶に頼っているので、間違っているところも多々あると思います。

あくまで個人的に思ったことや感じたことを書いているだけです。

 

 

 

 

私は実は鶴丸国永を神推しする審神者でもあるのですが、新型コロナウイルスの影響で幻の7公演と言われるあれを運よく見れた一人でもあります。

寿乱舞音曲祭によってあまりにもたぎりすぎて仕事が手につかないので、ここに吐き出して落ち着かせようと思います。スーーーハーーーー!!

 

 

静かな海のパライソは、最高の刀剣乱舞ミュージカルでした。

一番好きな話は三百年の子守唄だったんですが、それと同率一位です。

でも初心者にはおすすめしないですね。初心者には三百年の子守唄で泣いて、そして笑顔が一番だという言葉に救われてほしいです。

 

まず、刀ミュがミュージカル的な表現を取り入れたのがみほとせです。

時間経過をかざぐるまの歌に合わせて、プロジェクションマッピングで美しい四季の映像を見せながら子どもが大きくなっていく様子を見せる。

あの切なく美しくあたたかいかざぐるまの曲で、どれだけの想いをこめて刀剣男士が幼子を見つめて育ててきたのか、存分に表現できていました。

 

次はつはものです。

源平合戦の有名どころのエピソードを、琵琶の弾き語りという形で表現してきます。

平家物語、琵琶法師、そういう細かいところも拾って上手く取り入れてくれる運営陣は神です。歴史好きの血が滾ります。

この琵琶の弾き語り、今までの刀ミュだったら、ただそれに合わせて演技や殺陣をするだけでしょう。しかし、群舞の動きで殺陣っぽいものをしたりと、すごくわかりやすく、そして整理整頓されていて、シリーズ屈指の名演出です。神オブ神。

ここ殺陣と演技に頼ると、人がごちゃついてどこを見ていいのか分からず、ふ〜んで終わっちゃうシーンなんですよね。

でも朗々と歌い上げる刀剣男士の声、そして人の争いをただ見ているところ。

あ〜〜〜〜〜刀剣男士って神様部分もあるんだよな〜〜〜〜と色々とこう、くるものがありました。彼らにとって歴史を見るってこんな感じなんだと、さまざまなものが込められていて読み取れるところです。

 

むすはじでは、人間だけで歌うシーンがあります。

あおさくでは鶴丸が実験的な要素を取り入れていて、作戦を歌って踊ってみんなを巻き込んで説明したり、検非違使との一騎討ちで歌って踊って殺陣も入れてきました。(そして印象深くて完成度も高い)

 

一作ごとにミュージカルとしての演出が上手くなっていって、そしてパライソです。

 

私は割と歴史が好きで、刀ミュは予習しなくても見れば元ネタがわかるタイプです。

みほとせ冒頭の「榊原長政殿、討死ーーーーー!!!」というシーンで、「(は!?へ!?歴史変わってない!?やばくない!?!?!)」って初見の客席で本気で心配するぐらいには好きです、はい。

 

島原の乱をやるというのはツイッターで流れてきたのですが、それ以上の話はあえてシャットダウンしました。

ちょっとでも情報を入れると、先読みして自分でネタバレをしてしまって、物語の楽しみが減ってしまうんです。

でも島原の乱の時点で、割と地獄み溢れる題材だな……とは思っていました。

 

最初のアンサンブルさんによる群舞、演出がうますぎて、狂気が凄い伝わりました。

(ですが、あちこちから叱られないようにと、最新の注意を全方位に払っているのも全編通して伝わります)

ここ〜〜〜アンサンブルさんと演出、すごくないですか!?

この先、地獄になることが全部伝わった!

作品のえぐみが、全部詰め込まれている。

冒頭だけで話のえぐさの覚悟を決めました。

刀ミュの歴史の描き方が元々凄く好きで、歴史好きな人が慎重に慎重にオリジナリティを詰め込んで上手く描いてくれているのがわかって、一生着いていきます!ってなっていたからこその覚悟です。

 

予想通り、島原の乱について、一方に肩入れすることなく、淡々と、そして島原の乱の様々な悲しみや絶望や憎しみや狂気を客席に叩きつける演出力は、神がかっています。

ステも見ているんですが、ステにはできない演出ですね。

ステはまた別方向に特化していっているので、こちらは刀ミュが何作もかけてずっと磨き上げてきた唯一無二の武器だと思います。

せっかく2種類あるんだから同じ方向を目指されてもちょっと……なので、ステはステの得意分野を磨き上げてそのまま爆進していってもらいたいです(ステの感想文や解説は皆さんにお任せ!)

 

鶴丸天草四郎になることを、事前に予想していた人が結構いたらしいというのは、後で知りました。

いやさ!いやさ!!鶴丸って顔が可愛いし綺麗だけれど、設定上は見た目20代半ばぐらいなのでは?と思っていたんですよ。

だから少年の天草四郎に成り代わることを予想できなかったんですよね。

ここ、刀ミュの不思議な術とかで、みほとせを踏まえるとそれらしく見えるようにはなっていると思うんですが〜〜〜???

でも日向くんと浦島くんは天草四郎ができて、六十年分の演技力をもっている大倶利伽羅がちょっと無理ってどういうことですかね?

それらしく見えるけれど、元の顔からそう離れない雰囲気にしかならない……のか!?

刀ミュの鶴丸は一体いくつに見える設定なのか!?

この辺は永遠に解けない謎です……。

いっそ、「ミュ鶴丸の見た目は可愛くて年齢不詳です」と茅野さんに言い切ってもらいたい。

 

天草四郎鶴丸新興宗教の教祖……と新しい扉が開きました。

やばい、危ない、鶴丸危険。

とんだカリスマ性を発揮してもらえて、鶴丸格好いい〜〜〜!の前に、この刀剣男士やばいな……と冷や汗がでるぐらい狂気のカリスマ性をお持ちでした。

ミュの三日月宗近はやろうと思えば「どこでも大奥みんな抱いたぞ」ができそうな人だなと思っていたのですが、鶴丸は完全に「歩くどこでも新興宗教教祖」ですどっちもやばい。

 

鶴丸って今までアニメや舞台に出てきても、良きサポート役だったんですよね。

心の中は見せてくれないけれど、その欠片はちらりと見せる。いい人。

そんな描き方しかされないだろうなと思っていて、このパライソもきっとこんな風に見せ場はもらえても心の中は見せてもらえないだろうと思っていました。

 

はい!ここ間違いでした!

刀ミュ最高!ありがとう!!

鶴丸の内面をしっかり描き切って、そしてすごかった!!

 

今回のパライソ、要は死んだ天草四郎の代わりに、三万七千人を集めて皆殺しにするという任務です。

状況によっては、集めるだけではなくて皆殺しも手伝わなければならないんですよね。

地獄の任務すぎる…………と言葉を失いました。

 

鶴丸って、こういう任務に対し、なにかしら思うことはあっても、絶対に心の内を見せないし、そして任務に対して大人な一線を引くタイプに見えてました。

これが俺たちの役割なんだと、若い子を慰める方に回るタイプに見えてました。

 

でも違いました。

 

鶴丸は、この地獄に対し、真正面からずっと逃げずに向き合っていました。

 

天草四郎を騙った、そして騙らせたのは俺だ。

三万七千人を集めたのは俺だ。

三万七千人を皆殺しにしたのは俺だ。

 

真っ向から向き合い、一度だって「仕方ない」で終わらせようとしなかった。

悩み苦しみ、苛つき、絶望し、救いがないことに絶叫した。

そして、それでも前を見た。

 

普通なら、目を逸らしたり、目を閉じたりと、そういう仕草で済ます鶴丸を描きますよね。

そうじゃないんだと、鶴丸は真っ向から地獄に向き合い、心で泣いて自分を憎んで慟哭する。そのあとに立ち上がる。ただそれをみんなに見せないのだと、刀ミュは描きました。

 

ここね〜〜〜〜〜〜鶴丸が優しくて最高に強くて格好いい男だというのが伝わります。

普通は逃げるんですよ、それが役割だから仕方ないって。

命じられたことだ、やらなければならない、そういう自分の責任というものを少し軽くする方法を使って、心が壊れないように上手くやっていくもんなんですよ。

 

 

ーー上手くやってたまるか!しゃらくせぇ!俺は絶対に目をそらさない!

 

 

そんな鶴丸の真白で気高すぎる矜持を、刀ミュは見せてくれました!!!!!

こんな最高の鶴丸、他にはいない。

ありがとう刀ミュ……ありがとう……私は稼いでいる大人なので、寿乱舞音曲祭配信を現地と配信で全通しました…………。

 

でも鶴丸の選んだ「逃げない」って本当にしんどいんですよ。

言い訳なんかしないから、絶望しないといけないから、その度に立ち上がらないといけないから、心が疲れますよね。

 

はい、だから大倶利伽羅を選んだんです!!!

 

刀ミュのみほとせ帰りの大倶利伽羅、最ッ高に格好良すぎませんか!?

私はあまりの格好良さに死にました。

唯一、筋トレシーンはちょっとシュールで、笑って……いけないんだよな?と宇宙猫顔になりましたが、まあそれは置いておきましょう。

 

今回の鶴丸の任務、地獄です。

鶴丸は、逃げないと覚悟は決めている。でも足が崩れそうになるときだってある。

賢いから、自分のことをよくわかっているはずです。

 

倶利伽羅を選んだのは、大倶利伽羅が「大丈夫?」と言わない人だからでしょう。

鶴丸は「大丈夫?」と言われたら「大丈夫だ」と明るく誤魔化す人です。それは優しさからですが、優しさっていうのは余裕がないとつらいときもある。

今回は余裕がなくなることがわかっていた。そんなときに、心配を言葉にするタイプの優しい人が側にいたら、心配かけないようにという逆フォローという負担が増えます。

 

「大丈夫?」を言わない。

こちらの意図を読み取り、思うことがあってもなにも言わずに協力してくれる。

逃げずに立つ自分を、傍でじっと見ている。

足元がぐらついたら、そのときは叱ってくれる。

 

倶利伽羅を選んだのは、大倶利伽羅だから。そして強い信頼関係があるからです。

それでもって大倶利伽羅も、鶴丸の望んだ通りに動いてくれた。

余計なことをしたくなってもきっと我慢した。

苛立ったことがあっても我慢した。

今回は、鶴丸のためのサポートに最後まで徹した。

 

倶利伽羅、本当にありがとうありがとう……。

鶴丸もね〜強い人だけれど、大倶利伽羅がいないと立ち上がれないときだってあったよ。

ずっとそうやって、大事なときには手を伸ばしてあげてください。

まあ、頼まれなくてもしてくれる男だけれどね!!

倶利伽羅がCan you guess what?の「逃れられぬ使命にこの身を捧げる覚悟で」の鶴丸と向き合っているのは、このパライソの二人の関係をまさに表しています。

ありのままの姿をさらけ出せるのは貴方だから、という歌詞が、まさにその通りです。

鶴丸は大倶利伽羅だから、あの絶叫を聞かせてもいいと思ったんです。

 

寿乱舞音曲祭で鶴丸と大倶利伽羅のコンビがよく出ていましたが、パライソを踏まえるとだよね〜〜〜〜!!!ってなります。

倶利伽羅は最高に格好いい漢。

これはもう間違いないのですが、今更ですが一つ疑問が。

 

君、鶴丸のこと好きすぎない?

 

本当に今更なんですけれど、日向くんと浦島くんが、大倶利伽羅と一度も喋ったことがないと最初の方が言うんですよね。

ミュの大倶利伽羅ってファッション俺一人だと思ったのですが、本当にちゃんと俺一人だったんですね(ごめん!)

そんな男が鶴丸の言うことなんでも全部聞くとか、え?なんで?伊達家でなにかあったの!?という謎です。

でも鶴丸の強さは本当に眩しいぐらい真っ直ぐだから、大倶利伽羅鶴丸の強さが好きなんだろうなと思うし、そのままであってほしいと祈っていると思います。

 

最後に、三日月宗近

あおさくを見たときには、鶴丸は三日月のやることを面白がっているのかな?とも捉えることができたし、そういう解釈をしている人が多そうでした。

ステと違って、ミュ鶴丸は三日月肯定派なのね〜みたいな。

しかし、パライソを見ると色々わかってきます。

 

まず、ミュ本丸は、下手をしたら「初期刀」「三日月」「鶴丸」が最初の三振りであったかもしれないぐらい、三日月と鶴丸は古参に入るようです。

ミュ本丸の二つの柱という扱いになっているのにはちょっと驚きました。そこまで最古参で、頼られる存在扱いだったのか!と。

 

(ちなみにミュ本丸って、実は初期刀が明言されていないんです。

それでも加州なのかな〜?と思っていたのですが、加州と三日月のあつかしやりとりを見ていると、初期刀ならもっと阿吽の呼吸になりそうなのにな〜という感じだったので、逆に加州じゃないっぽい気もしました。

そして、蜂須賀も陸奥守吉行もなんか違うような……?という雰囲気です。古参という雰囲気をそこまで匂わせていないんですよね。)

 

寿乱舞音曲祭では、三日月と鶴丸が二部冒頭で並んでいる。

「友よ友よ」で互いを指差している。

 

ミュ本丸の三日月と鶴丸は、きっと小さな少人数本丸時代から苦楽を共にしてきた「唯一無二の友」と呼べる存在であることは、音曲祭の演出(立ち位置、そして監修入りっぽいカテコ)から想像ができます。

この二人はおそらく「阿吽の呼吸」で戦えるんでしょう。

 

ミュの三日月は、審神者に内緒でこそこそやっています。

ーー歴史の都合で悲しい役割を背負わされた人を、一人でもいいから救いたい。

つはものでそれが描かれました。

小狐丸も、髭切も、それに対して一定の理解は示しました。

多分、歴史を守るついでのささやかな救いなら、審神者鶴丸も見逃せたのでしょう。

 

けれど、三日月は三日月宗近という機能を作りました。

あちこちの時代で、救える人は救うで終わらず、物部という刀剣男士の事情を知っていて三日月に協力する人物を増やし始めました。

歴史に切り捨てられた人を一人でも救いたいという「機能」、かなり大掛かりなものを作り始めています。

 

三日月宗近は、人間が好きなんだろうなと思います。

毎回、人と触れ合い、友になる。

友となった人に、悲しい役割を負わせなければならない。

だからこそ、悲しい役割を負わされた人を、一人でもいいから救いたかったのでしょう。

 

三日月は、三日月の定義では歴史を変えてはいない。

歴史はきちんと守られているんです。

でも個人的な範疇を超えて機能という大掛かりなことをやり始めた。

 

そりゃ〜〜審神者も心配するでしょ!!!!

ってなりますよね。

 

そして鶴丸は、そんな三日月のやり方を「気に入らねぇ」と言います。

一人でも救いたいと思って救うことに対し、「間違っている」ではなく「やめさせる」でもなく「気に入らねぇ」なんです。

 

鶴丸は、海で「数字じゃねぇんだぞ!こいつらの命、救えるものなら救ってみやがれ!!!!」と絶叫します。

それは、三日月のやり方に向かって叫んでいます。

三日月の救いたいは、三日月が救いたくて救える人を救うだけであり、これはあくまでも選ばれた人のみが救われる機能です。

鶴丸は、「お前が救える人を選ぶ!?なら全部救ってやれよ!三万七千人はみんな悲しい役割を背負わされた人なんだぞ!!」と言いたいんです。選ばれた人だけが救われる、というところがただ気に入らないんです。選ばれなかった人に対して気の毒だで終わらせていいのかと、そう思っているんです。

でも、三日月のやり方が間違っているとは絶対に言いませんでした。

 

鶴丸は、地獄と真正面から向き合い、苦しみ、悲しみ、絶望しながらも立ち上がり、それを何度繰り返したって構わないという道を選びました。

三日月は、この手が届くのなら悲しい役目を背負わされた人を一人でも救うという道を選びました。

 

どっちが正しいとか、間違っているとかではなく、これは鶴丸と三日月のやり方が違うというだけなんですよね。

歴史を守るという目的は同じです。でもやり方が違う。

互いに互いのやり方があって、否定したいわけではない。

互いに唯一無二の大事な友達であることには変わりない。

 

今後、三日月と鶴丸が敵対するかどうかというと、特にそういう方向には向かわない気がします。鶴丸はもう「気に入らない」で決着をつけていますし。

 

ただ、この三日月の大掛かりな機能が審神者や時の政府にどう判断されるのか。

そして、明石がどういう立ち位置になるのか。

鶴丸は「気に入らない」ながらもいざとなったらどう動くのか。

この三振りが揃う出陣が見たいけれどまだ引っ張ってほしい気持ちもあります。

 

あと三日月はすっごく鶴丸のことが好きですよね。

鶴丸の選んだ道が救いゼロの自分よりも地獄み溢れるしんどすぎるものだとわかっているから、『あまり無理をするな』という伝言を物部に託したわけです。

で、ここで出てくる、鶴丸は心配される言葉を嫌う(私の妄想です)ってあれです。

三日月は本気で心配しているけれど、鶴丸からは激怒案件の一番言われたくない言葉ですよ。しかもそれをみんなの前で言われた。

「しゃらくせぇと伝えといてくんな」と冷たく吐き捨てたのも、まあ……ですよねっていう。

苛々している鶴丸を煽るんじゃないよ三日月宗近……でもいいぞもっとやれという気持ちもあります……。だって鶴丸のガチギレ顔、貴方でないと見せてくれないし……ごめんよ鶴丸……。

 

そして三日月は、鶴丸に見ていてほしい人なのかなとも思います。

物部システム、隠すつもりなんて全くなさそうですし、寧ろしんどいなら俺が手を貸してやるぞぐらいのノリですし。(それは鶴丸がキレるやつ……)

 

 

で、天草四郎を殺して、歴史が変わるのか。

三万七千人が死ななかったら、歴史はどうなるのか。

 

ここが徳川家の歴史のターニングポイントかと言われたら、多分違います。

しかし、それならばなぜ天草四郎を狙ったのか。

 

歴史遡行軍による、刀剣男士への精神攻撃だとしたら?

 

三万七千人を集めて皆殺しなんて任務、強い鶴丸ですらぐらついたんです。

たったの一回だけでも地獄だった。

それでもまた頼まれたら、鶴丸は何度も引き受けるでしょう。

でも、1000回目は?10000回目は?

 

歴史遡行軍による刀剣男士の『心』を折ってしまえばいいという攻撃だとしたら、これほど的確なポイントはなかなかないです。

こはちょっと深読みしすぎたような気もしますが!

 

 

 

 

まとめ

 

刀剣乱舞ミュージカルの鶴丸は最ッ高です!!!!!!!

倶利伽羅も最ッ高に格好いいです!!!!!!