ミュージカル刀剣乱舞 陸奥一蓮 の感想

ミュージカル刀剣乱舞 陸奥一蓮 の感想

気づいてしまったんですが、浅井先生脚本はストレートにこう……面白くないです……。
捻りが無さすぎるし、粋がない。盛り上がらない。カタルシスが得られない。

これは刀ステにも浅井先生脚本の刀ミュにも思うことなんですが、基本的に歴史小説って小説を書く力以外にも『日本史力』が必要だと思ってください。
これは日本史が好きという情熱が幼い頃からないと身につかないものです。
大人になって必要だから調べた、では絶対に書けないものです。

例えば、平安時代を書くなら、平安時代の特徴を理解しないといけません。
大人になってからだと、平安時代の資料を読んでそれを掴もうとします。
でも、平安時代の特徴というのは、その前の奈良時代と、そのあとの鎌倉時代を知らないと駄目なんです。前後の比較対象があるから、なぜ違うのかというところに目が向き、より理解が深まるんです。
子供のときから日本史が好きで、奈良時代平安時代鎌倉時代の全てをぼんやりでも掴めているというのは、歴史小説において大きな力になります。

そしてもう一つ。
日本史が好きなら必ず『IF』を考えることができます。
もしも「〇〇が××だったら……」を自然と小さい頃から夢想します。
そのIFは歴史小説を書くときの切り口になります。
これがないと「歴史をなぞっただけ。資料をそのまま書いただけ」という非常につまらない脚本になるんですよね。

末満さんも浅井さんも、その手の日本史力がない気がします。
必要だから調べた。そのまま書いた。
これで歴史パートを面白くできるわけがない。

(余談ですが、末満さんは歴史にオリジナル解釈をいれるから面白い!と言われますけれど、私からすると「歴史の素材を意味もわからず好きに使った二次創作」と「こういう歴史の流れだからここの味方を変えると歴史はこうなるはずと意味がわかった上での二次創作」は、ジャンルが全く違います……)

浅井先生脚本は、歴史部分にもう〜んだし、そもそもストーリーも起伏がないんですよね。短編ならこれでいいんですけれど、長編でやられるときつい。話が平坦すぎるから、一部の劇中曲のメロディも話に合わせて方向性がふわっとしてしまう。ドラマチックにならないから、印象に残らない。
鶴丸・三日月・山姥切国広の歌唱力が圧倒的だったのに、同じ味の曲ばかり聞かされた気がしました……。

私は話の面白さをどう評価するかというと、「ドラマチック」「情熱」「カタルシス」「いい意味での斬新さ」の点で爆上げ加点するタイプです。
話の面白さを「会話劇」「安定感(いい意味で期待を裏切らない)」の点で評価するタイプは、浅井先生脚本がかなり好きなんじゃないかな〜とは思いました。
これはもう好みです!そう、好み!
私が伊藤脚本が好きで、浅井脚本に馴染めないだけ!
辛い!伊藤脚本で生き生きと動いていたキャラクターが大好きなのに!
(でも全肯定するわけでもないんですが!)

刀ミュの最後がどうなるのかは知りたいので、見続けるつもりです。
でも、1部の劇中曲がストーリーに引っ張られる形でドラマチックだったあの頃にもう戻らないのが辛い……

正直なところ、また別の脚本家さんも取り入れて、合作なり交互なりして、試行錯誤をもうちょっとしてほしいです。
脚本の力って大事だと思います……!
よろしくお願いします!

 

あと鶴丸のヘイト管理についてですが、このあとフォロー入るならよし、入らないなら単純に下手くそすぎです。はっきり言いますけれど、下手すぎるので止めた方がいい。


でも役者さんは素晴らしかった!
歌も演技もよかった!
こんなにいいのに〜〜〜〜!

ミュージカル刀剣乱舞の脚本家交代

花影を観劇しました!

私は伊藤先生脚本が大好きなんですけれど、伊藤先生の脚本って癖があると思います。
拳で語れみたいな男の人のマッチョイズムとかありますし(特に自分の指示に従わない大倶利伽羅のことを理解していた鶴丸が初手で大倶利伽羅をぼこぼこにして「お前は弱い、俺は強い、俺の指示に従え」ってやったところ。この感覚に馴染みがないと、パワハラとかヒステリーとか八つ当たりと解釈してしまう。私も好んでいるわけではないですけど、そういうのがあるというのは理解している)、好き嫌いが分かれるだろうと思います。


私はみほとせパライソ江水は好みど真ん中で、心覚は自分に合わなかっただし(客席の人もこの劇の一員だよ、という演出にスン…としてしまった。この手の演出がそもそも好きではない)、歴史部分に捻りがないあつかし幕末つはものむすはじは、刀剣男士の心情を素直に楽しんだという感じです。
好きな脚本って推しがいなくても楽しめるんですよね。みほとせ江水はまさにそうでした。

そして花影。

私からすると毒にも薬にもならない、穏やかな話でした。
刀剣男士が無知にされないとか、みんな賢いとか、報連相しているとか(報連相すべきなのは部下であり、上司が部下に『相談』とか、そんな上司は優柔不断すぎて駄目上司でしょう派です)、いいところもあると思うんですけれど、でもそれをクリアした上で緩急や盛り上がりがある脚本ってあると思います。

・みんなが一期一振を本気で心配しているように見えない
・本気で心配していないから、戻ってきたときの喜びが感じられない
・この話を通して成長している姿、もしくはなにか得たものが見えないから、カタルシスが得られない

隊員内でギスギスしろとは言いませんが、感情的になりすぎない意見のぶつかり合いはあってもいいんじゃないかとか(割れた意見をどうするかをばしっと決めるのが部隊長ですし)、なんかこう、見せ場ってどこ……?なんですよね。
伊藤脚本って、ここぞ!なミュージカル見せ場を作るのがうまかったです。

みほとせ→かざぐるま
パライソ→冒頭の反乱シーン、三万七千人の人生!、誰も教えてくれない
心覚→はなのうた、問わず語り
江水→最後の刀剣乱舞

今回、ここまで穏やかな話にするなら、音楽に頼りに頼ってミュージカル見せ場を多めにして緩急をつけてもよかったのでは…?と思いました。


今回で特に思ったのは、伊藤脚本のよさって『粋』だと思うんです。
ほとんどの脚本に『粋』があった。
ときには歴史上の人物に、ときには刀剣男士に。
(例外はパライソですけれど、パライソのあの重たすぎる題材に粋を入れられると、それはもう「……」な気持ちになるので、ストレート勝負で本当によかったです……)
私には合わなかった心覚だって粋が詰まっていました。歴史上の人物三人が出てくるはなのうたの合唱はとても盛り上がりました…!問わず語りも最高でした!合わなくても、見返したい見せ場ってあります。
江水は粋が詰まりに詰まっていて、そして残酷さがそれを美しく彩っていました(肥前くんの元主のところとか、もう言葉にならないぐらいぐさっときます……)

でも花影って粋がどこにもないんですよ〜〜〜!

伊藤さんっておそらく歴史上の人物の生き様に粋を見出して、それが好きなんです。
でも浅井さんって多分そういうところに粋を感じたことがない人なのかな……って思いました。歴史上の人物に粋を感じたことがあるなら、ここを書きたいんだよ!になると思うんですよね。その情熱が伝わってこないんです。
結局のところ、上手い下手ではなくて、脚本家の感性に合うか合わないかなんですよね……。

でも浅井さんの言葉の選び方は本当に素晴らしいんですよね……。
作詞から抜けるって言われたら、私は号泣してしまいます……貴方がいないと駄目だ〜〜〜!!貴方の作詞がいいんです!!!

ということで、アンケートを書いてきます!
今回、刀剣男士たちの技量任せの難易度の高いミュージカルになっているので、大千秋楽では味のある作品に仕上がっているのでは……と期待しています!

 

↓次の「陸奥一蓮」の感想↓

movietc.hatenablog.jp

 

 

ミュージカル刀剣乱舞の鶴丸国永

ミュージカル刀剣乱舞鶴丸周りで気になるのが『パワハラ』『人の心がない』『隠れコミュ障』と言われるところなのですが、どこが!?え!?となったので、なぜその認識のずれが生まれるのかを考えてみました。

(ミュ鶴丸好きじゃない人の言葉の強さ、えげつないですよね……)

 

ミュージカル刀剣乱舞は男性が脚本を書き、男性が演出しています。

ここは重要なポイントです。

男性脚本・男性演出な刀ミュ運営陣は、審神者と刀剣男士――本丸を軍事組織のように捉えています。

ミリタリー物とか、男のロマンが詰まった時代小説物とか、そういう文脈でキャラクターや話を作り上げているんですよね。

女性が作ると本丸のテイストが『学園物』『家族』になったりするのですが、戦争をする上で、学校も家族も軍事組織に敵いません。刀剣男士たちを軍事組織のように構成するのは当然です。戦争中ですから。

 

なので、『上官の命令には絶対』な訳です。

 

上官の審神者が『歴史を守れ』と命じた。

『刀剣男士』は、刀剣男士だからそれに従う。

従わなかったらそれは歴史遡行軍のようなもの。

 

鶴丸がパライソで松井にパワハラしたと言われましたが、彼は当然のことを言っています。上官の命令に従えないのなら、その時点で刀剣男士を辞めなければならない。

行くぞと言われて行けなかったのなら、叱られて当然です。その迷いが歴史を変えるかもしれないからです。

鶴丸は迷っているならそこで見ていろと、そのとき結局は一人で行きます。

この任務、正直なところ松井と浦島がいなくても成立するし、その方が鶴丸も楽だったでしょう。

でも連れて行った。それは二人が刀剣男士として向き合わなければならないことがあったから。

したくないこともしなければならないことを教えなければならなかったから。

鶴丸は誰もが躊躇う憎まれ役をしっかり引き受けてくれたわけです。

 

正論を言われるときついときもある。

でも、「やらなくていいよ」と甘やかすだけでもいけない。

鶴丸は松井のヘイトコントロールを上手くやっています。

正論は自分の役目、慰めるのは豊前の役目。

鶴丸はヘイトを集める役を豊前に押し付けるような男ではありません。

松井は聡いので、気持ちが落ち着いたあと、鶴丸を殴ったのは『当然』ではなく『八つ当たり』だと思うようになっているわけです。

浦島も鶴丸が教えた通り、『本丸で考える』をしたわけです。

 

あんな言い方しなくても!とも言われますが、自衛隊の訓練風景を見てみてください。

自衛隊の訓練風景は、普通にテレビに流れているシーンだけでも、普通の人は馴染めません。普通の訓練でもパワハラに思えます。そういうものなんです。(私も積極的に見たい光景ではないですね……怒鳴り声が当たり前なので)

でも、それだけの訓練をしなければ、戦場で銃を向けあうことができないんです。

 

あと、みんな大好き『報連相』ですが、これって部下→上司にすべきことです。

上司が部下に一々相談してはいけません。

必要な報告や連絡や相談をされ、その上で上司がどうするかを決定し、上司は『適切な指示を出す』のが仕事なんです。

鶴丸や山姥切が報連相しないのは当然です。

適切なタイミングで適切な指示を出すためなら、情報開示のタイミングのコントロールも上司はすべきです。なにがなんでも全部話して全部相談するのは方向性が自分で定められない無能な上司です。

ですが、学校生活においては、家族においては、なんでも話して相談することは大事です。

ミリタリー物の有能な上司と、学園物の有能な学級委員長と、家族物のよき家長は、すべきことが違うんです。

 

鶴丸はミリタリー物として『有能な上司』です。

松井のケアのために豊前も呼ぶし、浦島には優しく声もかける、部下思いの上官です。

鶴丸への信頼絶大だと刀ミュで書かれるのは、鶴丸が皆に認められている有能な上司だからです。

パワハラ』『人の心がない』『隠れコミュ障』と言われますが、それは学園物や家族物の文脈においてはでしょう。

 

ちなみに男(主語が大きいのは承知ですが、そういう傾向があるという話です!)は、自分より弱い男に従えないことが多々あり……部活のキャプテン決めのやり方とか聞くと結構びっくりします。

陸上部なら誰よりも足が速いやつだし、球技だと一番強いやつです。

宝塚の『スター』と『組長』の素質は違う、という女子のキャプテン決めとは違うんですよね……。

なので、双騎の大倶利伽羅鶴丸に初手でボコられたのは、そこが理由です。

鶴丸が大倶利伽羅より圧倒的に強くないと、大倶利伽羅鶴丸の命令に従えないんです。

言葉で言えよという話かもしれませんが、鶴丸は二百年も大倶利伽羅と共にいたので、言葉で言っても従う奴ではないともうわかっているわけです。

なので、そこを省いてさっさとぶちのめしたわけです。二百年の付き合いがあるからこそのやり方ですが。

これを松井と桑名にしていないのに、『鶴丸は新刀に暴力を振るう』と言っている人もいてびっくりしました……。主語大きくないかな……。

倶利伽羅はまだ情緒が未発達ですし(そもそも悔しいも初陣での完全敗北のときにようやく理解したぐらいですから)、あの敗北はただ単に「俺が弱かった」という認識でしかないんですよね。「なぜ」とも思っていない。

あの大倶利伽羅は自分が弱くて負けたことを恨みに思う男ではないですし、「大倶利伽羅かわいそう!」と言われたら苛立つでしょう。

ちなみに「〇〇は鶴丸をもっと殴っていいよ!」はライトに使われてますけれど、それヘイト表現と同じだと思うんですよ……。

主語を自分に置き換えて「私は鶴丸をもっと殴りたい。嫌いだから」と大きな声で言うことはできないでしょう? 凄く強い言葉ですから。

それを刀剣男士にしろと命じる言葉も同じぐらい強いとわかってほしいです。

大侵攻のときのシナリオや三日月の行動には???派なんですが、だからといって「三日月は本丸に帰ったら殴られろ」というツイートが氾濫したときにも、この言葉の強さを理解しているのかな……と思いました。

 

鶴丸が損をするのは、最適解がわかる賢さがあって、躊躇いなくそれで行く決断力があるからです。

同情を誘うために皆の前で露骨に迷ってみせればいいのに、そうしない。自分がどう見られてもいいんでしょう。そういうところはヤケになってる感はちょっとあります……。

だから大倶利伽羅豊前が心配してくれるし、日向は陰ながら鶴丸を支えてくれたんだと思うんです。

 

刀剣乱舞ミュージカル「静かの海のパライソ」感想文

刀剣乱舞ミュージカル「静かの海のパライソ」ネタバレありです!!

おぼろげな記憶に頼っているので、間違っているところも多々あると思います。

あくまで個人的に思ったことや感じたことを書いているだけです。

 

 

 

 

私は実は鶴丸国永を神推しする審神者でもあるのですが、新型コロナウイルスの影響で幻の7公演と言われるあれを運よく見れた一人でもあります。

寿乱舞音曲祭によってあまりにもたぎりすぎて仕事が手につかないので、ここに吐き出して落ち着かせようと思います。スーーーハーーーー!!

 

 

静かな海のパライソは、最高の刀剣乱舞ミュージカルでした。

一番好きな話は三百年の子守唄だったんですが、それと同率一位です。

でも初心者にはおすすめしないですね。初心者には三百年の子守唄で泣いて、そして笑顔が一番だという言葉に救われてほしいです。

 

まず、刀ミュがミュージカル的な表現を取り入れたのがみほとせです。

時間経過をかざぐるまの歌に合わせて、プロジェクションマッピングで美しい四季の映像を見せながら子どもが大きくなっていく様子を見せる。

あの切なく美しくあたたかいかざぐるまの曲で、どれだけの想いをこめて刀剣男士が幼子を見つめて育ててきたのか、存分に表現できていました。

 

次はつはものです。

源平合戦の有名どころのエピソードを、琵琶の弾き語りという形で表現してきます。

平家物語、琵琶法師、そういう細かいところも拾って上手く取り入れてくれる運営陣は神です。歴史好きの血が滾ります。

この琵琶の弾き語り、今までの刀ミュだったら、ただそれに合わせて演技や殺陣をするだけでしょう。しかし、群舞の動きで殺陣っぽいものをしたりと、すごくわかりやすく、そして整理整頓されていて、シリーズ屈指の名演出です。神オブ神。

ここ殺陣と演技に頼ると、人がごちゃついてどこを見ていいのか分からず、ふ〜んで終わっちゃうシーンなんですよね。

でも朗々と歌い上げる刀剣男士の声、そして人の争いをただ見ているところ。

あ〜〜〜〜〜刀剣男士って神様部分もあるんだよな〜〜〜〜と色々とこう、くるものがありました。彼らにとって歴史を見るってこんな感じなんだと、さまざまなものが込められていて読み取れるところです。

 

むすはじでは、人間だけで歌うシーンがあります。

あおさくでは鶴丸が実験的な要素を取り入れていて、作戦を歌って踊ってみんなを巻き込んで説明したり、検非違使との一騎討ちで歌って踊って殺陣も入れてきました。(そして印象深くて完成度も高い)

 

一作ごとにミュージカルとしての演出が上手くなっていって、そしてパライソです。

 

私は割と歴史が好きで、刀ミュは予習しなくても見れば元ネタがわかるタイプです。

みほとせ冒頭の「榊原長政殿、討死ーーーーー!!!」というシーンで、「(は!?へ!?歴史変わってない!?やばくない!?!?!)」って初見の客席で本気で心配するぐらいには好きです、はい。

 

島原の乱をやるというのはツイッターで流れてきたのですが、それ以上の話はあえてシャットダウンしました。

ちょっとでも情報を入れると、先読みして自分でネタバレをしてしまって、物語の楽しみが減ってしまうんです。

でも島原の乱の時点で、割と地獄み溢れる題材だな……とは思っていました。

 

最初のアンサンブルさんによる群舞、演出がうますぎて、狂気が凄い伝わりました。

(ですが、あちこちから叱られないようにと、最新の注意を全方位に払っているのも全編通して伝わります)

ここ〜〜〜アンサンブルさんと演出、すごくないですか!?

この先、地獄になることが全部伝わった!

作品のえぐみが、全部詰め込まれている。

冒頭だけで話のえぐさの覚悟を決めました。

刀ミュの歴史の描き方が元々凄く好きで、歴史好きな人が慎重に慎重にオリジナリティを詰め込んで上手く描いてくれているのがわかって、一生着いていきます!ってなっていたからこその覚悟です。

 

予想通り、島原の乱について、一方に肩入れすることなく、淡々と、そして島原の乱の様々な悲しみや絶望や憎しみや狂気を客席に叩きつける演出力は、神がかっています。

ステも見ているんですが、ステにはできない演出ですね。

ステはまた別方向に特化していっているので、こちらは刀ミュが何作もかけてずっと磨き上げてきた唯一無二の武器だと思います。

せっかく2種類あるんだから同じ方向を目指されてもちょっと……なので、ステはステの得意分野を磨き上げてそのまま爆進していってもらいたいです(ステの感想文や解説は皆さんにお任せ!)

 

鶴丸天草四郎になることを、事前に予想していた人が結構いたらしいというのは、後で知りました。

いやさ!いやさ!!鶴丸って顔が可愛いし綺麗だけれど、設定上は見た目20代半ばぐらいなのでは?と思っていたんですよ。

だから少年の天草四郎に成り代わることを予想できなかったんですよね。

ここ、刀ミュの不思議な術とかで、みほとせを踏まえるとそれらしく見えるようにはなっていると思うんですが〜〜〜???

でも日向くんと浦島くんは天草四郎ができて、六十年分の演技力をもっている大倶利伽羅がちょっと無理ってどういうことですかね?

それらしく見えるけれど、元の顔からそう離れない雰囲気にしかならない……のか!?

刀ミュの鶴丸は一体いくつに見える設定なのか!?

この辺は永遠に解けない謎です……。

いっそ、「ミュ鶴丸の見た目は可愛くて年齢不詳です」と茅野さんに言い切ってもらいたい。

 

天草四郎鶴丸新興宗教の教祖……と新しい扉が開きました。

やばい、危ない、鶴丸危険。

とんだカリスマ性を発揮してもらえて、鶴丸格好いい〜〜〜!の前に、この刀剣男士やばいな……と冷や汗がでるぐらい狂気のカリスマ性をお持ちでした。

ミュの三日月宗近はやろうと思えば「どこでも大奥みんな抱いたぞ」ができそうな人だなと思っていたのですが、鶴丸は完全に「歩くどこでも新興宗教教祖」ですどっちもやばい。

 

鶴丸って今までアニメや舞台に出てきても、良きサポート役だったんですよね。

心の中は見せてくれないけれど、その欠片はちらりと見せる。いい人。

そんな描き方しかされないだろうなと思っていて、このパライソもきっとこんな風に見せ場はもらえても心の中は見せてもらえないだろうと思っていました。

 

はい!ここ間違いでした!

刀ミュ最高!ありがとう!!

鶴丸の内面をしっかり描き切って、そしてすごかった!!

 

今回のパライソ、要は死んだ天草四郎の代わりに、三万七千人を集めて皆殺しにするという任務です。

状況によっては、集めるだけではなくて皆殺しも手伝わなければならないんですよね。

地獄の任務すぎる…………と言葉を失いました。

 

鶴丸って、こういう任務に対し、なにかしら思うことはあっても、絶対に心の内を見せないし、そして任務に対して大人な一線を引くタイプに見えてました。

これが俺たちの役割なんだと、若い子を慰める方に回るタイプに見えてました。

 

でも違いました。

 

鶴丸は、この地獄に対し、真正面からずっと逃げずに向き合っていました。

 

天草四郎を騙った、そして騙らせたのは俺だ。

三万七千人を集めたのは俺だ。

三万七千人を皆殺しにしたのは俺だ。

 

真っ向から向き合い、一度だって「仕方ない」で終わらせようとしなかった。

悩み苦しみ、苛つき、絶望し、救いがないことに絶叫した。

そして、それでも前を見た。

 

普通なら、目を逸らしたり、目を閉じたりと、そういう仕草で済ます鶴丸を描きますよね。

そうじゃないんだと、鶴丸は真っ向から地獄に向き合い、心で泣いて自分を憎んで慟哭する。そのあとに立ち上がる。ただそれをみんなに見せないのだと、刀ミュは描きました。

 

ここね〜〜〜〜〜〜鶴丸が優しくて最高に強くて格好いい男だというのが伝わります。

普通は逃げるんですよ、それが役割だから仕方ないって。

命じられたことだ、やらなければならない、そういう自分の責任というものを少し軽くする方法を使って、心が壊れないように上手くやっていくもんなんですよ。

 

 

ーー上手くやってたまるか!しゃらくせぇ!俺は絶対に目をそらさない!

 

 

そんな鶴丸の真白で気高すぎる矜持を、刀ミュは見せてくれました!!!!!

こんな最高の鶴丸、他にはいない。

ありがとう刀ミュ……ありがとう……私は稼いでいる大人なので、寿乱舞音曲祭配信を現地と配信で全通しました…………。

 

でも鶴丸の選んだ「逃げない」って本当にしんどいんですよ。

言い訳なんかしないから、絶望しないといけないから、その度に立ち上がらないといけないから、心が疲れますよね。

 

はい、だから大倶利伽羅を選んだんです!!!

 

刀ミュのみほとせ帰りの大倶利伽羅、最ッ高に格好良すぎませんか!?

私はあまりの格好良さに死にました。

唯一、筋トレシーンはちょっとシュールで、笑って……いけないんだよな?と宇宙猫顔になりましたが、まあそれは置いておきましょう。

 

今回の鶴丸の任務、地獄です。

鶴丸は、逃げないと覚悟は決めている。でも足が崩れそうになるときだってある。

賢いから、自分のことをよくわかっているはずです。

 

倶利伽羅を選んだのは、大倶利伽羅が「大丈夫?」と言わない人だからでしょう。

鶴丸は「大丈夫?」と言われたら「大丈夫だ」と明るく誤魔化す人です。それは優しさからですが、優しさっていうのは余裕がないとつらいときもある。

今回は余裕がなくなることがわかっていた。そんなときに、心配を言葉にするタイプの優しい人が側にいたら、心配かけないようにという逆フォローという負担が増えます。

 

「大丈夫?」を言わない。

こちらの意図を読み取り、思うことがあってもなにも言わずに協力してくれる。

逃げずに立つ自分を、傍でじっと見ている。

足元がぐらついたら、そのときは叱ってくれる。

 

倶利伽羅を選んだのは、大倶利伽羅だから。そして強い信頼関係があるからです。

それでもって大倶利伽羅も、鶴丸の望んだ通りに動いてくれた。

余計なことをしたくなってもきっと我慢した。

苛立ったことがあっても我慢した。

今回は、鶴丸のためのサポートに最後まで徹した。

 

倶利伽羅、本当にありがとうありがとう……。

鶴丸もね〜強い人だけれど、大倶利伽羅がいないと立ち上がれないときだってあったよ。

ずっとそうやって、大事なときには手を伸ばしてあげてください。

まあ、頼まれなくてもしてくれる男だけれどね!!

倶利伽羅がCan you guess what?の「逃れられぬ使命にこの身を捧げる覚悟で」の鶴丸と向き合っているのは、このパライソの二人の関係をまさに表しています。

ありのままの姿をさらけ出せるのは貴方だから、という歌詞が、まさにその通りです。

鶴丸は大倶利伽羅だから、あの絶叫を聞かせてもいいと思ったんです。

 

寿乱舞音曲祭で鶴丸と大倶利伽羅のコンビがよく出ていましたが、パライソを踏まえるとだよね〜〜〜〜!!!ってなります。

倶利伽羅は最高に格好いい漢。

これはもう間違いないのですが、今更ですが一つ疑問が。

 

君、鶴丸のこと好きすぎない?

 

本当に今更なんですけれど、日向くんと浦島くんが、大倶利伽羅と一度も喋ったことがないと最初の方が言うんですよね。

ミュの大倶利伽羅ってファッション俺一人だと思ったのですが、本当にちゃんと俺一人だったんですね(ごめん!)

そんな男が鶴丸の言うことなんでも全部聞くとか、え?なんで?伊達家でなにかあったの!?という謎です。

でも鶴丸の強さは本当に眩しいぐらい真っ直ぐだから、大倶利伽羅鶴丸の強さが好きなんだろうなと思うし、そのままであってほしいと祈っていると思います。

 

最後に、三日月宗近

あおさくを見たときには、鶴丸は三日月のやることを面白がっているのかな?とも捉えることができたし、そういう解釈をしている人が多そうでした。

ステと違って、ミュ鶴丸は三日月肯定派なのね〜みたいな。

しかし、パライソを見ると色々わかってきます。

 

まず、ミュ本丸は、下手をしたら「初期刀」「三日月」「鶴丸」が最初の三振りであったかもしれないぐらい、三日月と鶴丸は古参に入るようです。

ミュ本丸の二つの柱という扱いになっているのにはちょっと驚きました。そこまで最古参で、頼られる存在扱いだったのか!と。

 

(ちなみにミュ本丸って、実は初期刀が明言されていないんです。

それでも加州なのかな〜?と思っていたのですが、加州と三日月のあつかしやりとりを見ていると、初期刀ならもっと阿吽の呼吸になりそうなのにな〜という感じだったので、逆に加州じゃないっぽい気もしました。

そして、蜂須賀も陸奥守吉行もなんか違うような……?という雰囲気です。古参という雰囲気をそこまで匂わせていないんですよね。)

 

寿乱舞音曲祭では、三日月と鶴丸が二部冒頭で並んでいる。

「友よ友よ」で互いを指差している。

 

ミュ本丸の三日月と鶴丸は、きっと小さな少人数本丸時代から苦楽を共にしてきた「唯一無二の友」と呼べる存在であることは、音曲祭の演出(立ち位置、そして監修入りっぽいカテコ)から想像ができます。

この二人はおそらく「阿吽の呼吸」で戦えるんでしょう。

 

ミュの三日月は、審神者に内緒でこそこそやっています。

ーー歴史の都合で悲しい役割を背負わされた人を、一人でもいいから救いたい。

つはものでそれが描かれました。

小狐丸も、髭切も、それに対して一定の理解は示しました。

多分、歴史を守るついでのささやかな救いなら、審神者鶴丸も見逃せたのでしょう。

 

けれど、三日月は三日月宗近という機能を作りました。

あちこちの時代で、救える人は救うで終わらず、物部という刀剣男士の事情を知っていて三日月に協力する人物を増やし始めました。

歴史に切り捨てられた人を一人でも救いたいという「機能」、かなり大掛かりなものを作り始めています。

 

三日月宗近は、人間が好きなんだろうなと思います。

毎回、人と触れ合い、友になる。

友となった人に、悲しい役割を負わせなければならない。

だからこそ、悲しい役割を負わされた人を、一人でもいいから救いたかったのでしょう。

 

三日月は、三日月の定義では歴史を変えてはいない。

歴史はきちんと守られているんです。

でも個人的な範疇を超えて機能という大掛かりなことをやり始めた。

 

そりゃ〜〜審神者も心配するでしょ!!!!

ってなりますよね。

 

そして鶴丸は、そんな三日月のやり方を「気に入らねぇ」と言います。

一人でも救いたいと思って救うことに対し、「間違っている」ではなく「やめさせる」でもなく「気に入らねぇ」なんです。

 

鶴丸は、海で「数字じゃねぇんだぞ!こいつらの命、救えるものなら救ってみやがれ!!!!」と絶叫します。

それは、三日月のやり方に向かって叫んでいます。

三日月の救いたいは、三日月が救いたくて救える人を救うだけであり、これはあくまでも選ばれた人のみが救われる機能です。

鶴丸は、「お前が救える人を選ぶ!?なら全部救ってやれよ!三万七千人はみんな悲しい役割を背負わされた人なんだぞ!!」と言いたいんです。選ばれた人だけが救われる、というところがただ気に入らないんです。選ばれなかった人に対して気の毒だで終わらせていいのかと、そう思っているんです。

でも、三日月のやり方が間違っているとは絶対に言いませんでした。

 

鶴丸は、地獄と真正面から向き合い、苦しみ、悲しみ、絶望しながらも立ち上がり、それを何度繰り返したって構わないという道を選びました。

三日月は、この手が届くのなら悲しい役目を背負わされた人を一人でも救うという道を選びました。

 

どっちが正しいとか、間違っているとかではなく、これは鶴丸と三日月のやり方が違うというだけなんですよね。

歴史を守るという目的は同じです。でもやり方が違う。

互いに互いのやり方があって、否定したいわけではない。

互いに唯一無二の大事な友達であることには変わりない。

 

今後、三日月と鶴丸が敵対するかどうかというと、特にそういう方向には向かわない気がします。鶴丸はもう「気に入らない」で決着をつけていますし。

 

ただ、この三日月の大掛かりな機能が審神者や時の政府にどう判断されるのか。

そして、明石がどういう立ち位置になるのか。

鶴丸は「気に入らない」ながらもいざとなったらどう動くのか。

この三振りが揃う出陣が見たいけれどまだ引っ張ってほしい気持ちもあります。

 

あと三日月はすっごく鶴丸のことが好きですよね。

鶴丸の選んだ道が救いゼロの自分よりも地獄み溢れるしんどすぎるものだとわかっているから、『あまり無理をするな』という伝言を物部に託したわけです。

で、ここで出てくる、鶴丸は心配される言葉を嫌う(私の妄想です)ってあれです。

三日月は本気で心配しているけれど、鶴丸からは激怒案件の一番言われたくない言葉ですよ。しかもそれをみんなの前で言われた。

「しゃらくせぇと伝えといてくんな」と冷たく吐き捨てたのも、まあ……ですよねっていう。

苛々している鶴丸を煽るんじゃないよ三日月宗近……でもいいぞもっとやれという気持ちもあります……。だって鶴丸のガチギレ顔、貴方でないと見せてくれないし……ごめんよ鶴丸……。

 

そして三日月は、鶴丸に見ていてほしい人なのかなとも思います。

物部システム、隠すつもりなんて全くなさそうですし、寧ろしんどいなら俺が手を貸してやるぞぐらいのノリですし。(それは鶴丸がキレるやつ……)

 

 

で、天草四郎を殺して、歴史が変わるのか。

三万七千人が死ななかったら、歴史はどうなるのか。

 

ここが徳川家の歴史のターニングポイントかと言われたら、多分違います。

しかし、それならばなぜ天草四郎を狙ったのか。

 

歴史遡行軍による、刀剣男士への精神攻撃だとしたら?

 

三万七千人を集めて皆殺しなんて任務、強い鶴丸ですらぐらついたんです。

たったの一回だけでも地獄だった。

それでもまた頼まれたら、鶴丸は何度も引き受けるでしょう。

でも、1000回目は?10000回目は?

 

歴史遡行軍による刀剣男士の『心』を折ってしまえばいいという攻撃だとしたら、これほど的確なポイントはなかなかないです。

こはちょっと深読みしすぎたような気もしますが!

 

 

 

 

まとめ

 

刀剣乱舞ミュージカルの鶴丸は最ッ高です!!!!!!!

倶利伽羅も最ッ高に格好いいです!!!!!!

安室透の筋肉

青山先生は降谷零の身長体重を設定していません。しかし、おそらくではありますが、降谷さんはイケメン設定に相応しい身長をもっていると思います。
170センチ後半は確実、180センチあるのかな?というところでしょうか。

ゼロティの作画で『腕を細く』という指示が青山先生から入ったことがあったのですが、つまり青山先生的には、降谷さんは筋肉ムキムキではなく、すらりとした体型であることを意識していると思われます。

降谷さんの特技はボクシングです。実はボクシングの軽量級の選手は、腕に筋肉を付けすぎないように気をつけるそうです。腕に筋肉があると、パンチのときに邪魔になるからです。
その代わり、腹筋がばきばきです。インナーマッスルが凄いことになります。腹の筋肉を使って、身体全体を捻って回転力でパンチして、ウエイトの軽さを補います。

つまり降谷さんは、見た目はすらりとした青年で、こんな腕でパンチなんかできるのかと周りに思わせつつ、しかし腹が凄い!シックスパック!ばきばき!身体全体で強力なパンチを放ち、フットワークの軽さとパンチの回数で補う!……という戦闘スタイルなのではないでしょうか。

ここで避けては通れないのが赤井秀一です。
純黒の悪夢、赤井VS降谷のときの赤井さんは、ライフルバックを背負って戦っていました。

あれは降谷さんに対するハンデではなく、ライフルバックを背負うことで、攻撃にウエイト上乗せをしているんですね。

ライフルバックでウエイト上乗せした分だけ動きが鈍くなる代わりに、一撃がめちゃくちゃ重くなる赤井さん。
ウエイトが軽いことでフットワークの軽さを生かし、パンチの回数を稼いでくる降谷さん。
実に対照的な攻撃スタイルとなっています。

降谷さんは本編でもゼロティでも二の腕をよく出してます。

でもムキムキな二の腕だとみんな「えっ!?」ってなるはずですし、でも一度もそんな描写はないので、やっぱり降谷さんの二の腕は普通に見えるのでしょう。
そんな彼が服をめくったら、「腹筋凄くない!?」ってなるんですよ!(ここまで全て妄想)
是非本編でファンへのラッキースケベ腹チラをよろしくお願いします!

赤井秀一はなぜバーボンに自分の生存を匂わせたか

このブログはゼロの執行人で安室の女になった人間による、安室透や降谷零やバーボンの話をするところなのですが、『赤井秀一さんによる謎行動』の考察をリクエストいただいたので、やってみようと思います。


赤井秀一ミステリートレインでなぜバーボンに自分の生存を匂わせたか。


これはよく謎だと言われているんですが、私の答えはとてもシンプルで、『宮野志保を守るため』です。
バーボン編のクライマックスは、哀ちゃんがシェリーばれする!?というところから始まりました。
野志保と灰原哀は同一人物なので顔がよく似ていて当然です。宮野志保と灰原哀をバーボンがイコールで繋がなくても、血縁関係を疑うぐらいはするかもしれません。
哀ちゃんからシェリーに繋がるラインがあるかもしれないとバーボンが疑えば、バーボンは徹底的に哀ちゃんを調べます。
バーボンはすぐに哀ちゃんの戸籍がないことに、そして米花町にくる前の経歴もないことに気づくでしょう。
シェリーが消えたと同時に現れた戸籍のない少女、そしてシェリは科学者。二人が同一人物だと気づくきっかけを、バーボンは得てしまうかもしれません。

赤井さんは哀ちゃんを守るために、どうにかしてシェリーが死んだことにしなければならなくなりました。そしてできれば、バーボンの眼を他に向けさせたい。

赤井さんが選んだのは、捨て身のアピールです。
バーボンが赤井秀一に執着していることを自覚している赤井さんは、『俺は生きているぞ』というアピールをバーボンにします。
(赤井さんのこの自信家なところ、好きなんですよね~~~……)

赤井さんにとって、キールとの約束は『できる限り守るもの』であって、最優先で守るものではないのでしょう。
赤井さんは、自分の認めた人(今のところ、バーボンとジンとコナンくん)以外には、死ぬほど雑な扱いをしますしね……。
(赤井さんのこのひどいところ、好きなんですよね~~~……)

そして見事にバーボンはひっかかっちゃうわけです。
(降谷零の対赤井秀一限定ぽんこつなところ、好きなんですよね~~~……)

バーボンなら本当にシェリーが死んだかどうか、シェリーの協力者は誰なのか、探り屋として調べまくってもおかしくはないのです。執念深い人ですし。
でも赤井秀一が生きているかも疑惑が発生したので、バーボンの眼が完全にシェリーから外れました。赤井さんの思惑通りです。
(降谷零の赤井秀一の思惑通りに踊らされているところ、好きなんですよね~~……)

赤井秀一、大勝利!!
……とはいかないんですが、まあ後の展開で痛み分けになりましたね。


考察しながら、赤井さんはもうちょっとキールに対して誠実になってはいかがでしょうかという気持ちになりました……。
そして警察学校編を心待ちにしております!!

祝!ゼロティ『警察学校編』降谷零はキャリア?ノンキャリア?

ゼロの日常ことゼロのティータイム、新章『警察学校編』おめでとうございます!

青山先生のスペシャルティザーイラストが最高でした……。

そしてイラストから、間違いなく5人は警察学校での同期だと確定し、警察学校組と呼んでもいいと判明したので、今回は降谷零の謎『キャリア?ノンキャリア?』に迫っていこうと思います。

 

※1箇所訂正しました、ごめんなさーい!降谷零は風見警部補より階級が上だというところまでが確定なので、階級は警部以上としか言えなかったです!青山先生が「結構上の方だと思うよー(笑)」という言い方をなさっていたので、警部か警視の可能性が現時点では高そうです。(2018.10.09訂正)

 

○キャリアだよ!派

 警察庁の公安にノンキャリアが引き抜かれたとしても、29歳で警部以上はありえない。準キャリアだとしても29歳で警部以上はありえない。

 

ノンキャリアだよ!派

 警察学校に同期がいるんだからノンキャリア。キャリアなら警察大学校に行く。

 

<追記 2018.10.9>

・雑誌で映画スタッフが降谷零を「キャリア」のつもりで描いていると発言がある。

・コナンコミックス92巻で「6年前 降谷零、警察学校を主席で卒業?」とある。

※どちらも原作で明言されたことではなく、コミックスはわざわざ「?」までつけてあるので、確定情報としては扱いにくい。

 <追記終わり>

 

29歳で警察庁の公安の警部以上確定。でも警察学校の同期に爆弾処理班のエース萩原(享年22歳)がいるので、高卒か短大卒でないとつじつまが合わない。

 

これが我々を惑わせる矛盾で、青山先生のコナン世界ではキャリアもノンキャリアも警察学校に行くのでは、設定ミスでは、などと噂されていました。

 

妄想ばかりになりますが、矛盾しない考察をしようと思います。

 

まず、降谷零の若かりし時代の家庭環境です。

回想シーンやゼロティでの『ひとりぼっち』から、おそらく降谷零は家庭環境に恵まれていません。

親はいてもネグレクトなのか、親がいなくて親戚に引き取られたのか、施設育ちなのか、その辺はわかりません。

降谷零には大学進学を支援してくれる人がいなくて、一人で生きていかなくてならないとします。

彼は優秀な高校生でしたが、国立大学志望で、世帯収入が低くて優秀な学生向けの返還なしの奨学金をもらえて、アルバイトにあけくれたとしても、それでも大学の学費を自分で払って、更に生活費を捻出するというのはかなり厳しいです。

降谷零は、大学に行きたくても行けなかった。大学進学を諦めた降谷零は、警察官という道を選びます。そこで友人を得ることになりました。

降谷、松田、萩原、伊達、景光の5人は高卒で警察学校に入ります。これで同期の友人という点はクリアします。萩原の享年22歳にも矛盾が生じません。

 

警察学校には四年制大学卒も混じってきます。その中で、座学も実地もなんでもずば抜けている降谷零は、外見も手伝って、とても目立ったと思われます。

みんな、特に伊達さんは『降谷はなんで高卒なんだ?』と不思議がるでしょう。

もしかしたらですが、景光は降谷の家庭環境も、大学進学を諦めた経緯を知っていたかもしれません。諦めるなよと声をかけたこともあるかもしれません。でも降谷零は現実は厳しいんだと笑い、みんなを守る警察官という道もいいものだと言ったのかもしれません。景光一人では、降谷零の意思を変えることはできなかったのです。

 

そんな深い事情を知っている景光がきっかけとなって、降谷の大学進学断念を仲のいい他の3人が知ったとしたら。

 

きっと松田、萩原、伊達は諦めるなと降谷に言う気がします。

「それだけの能力があるなら大学へ行け、限界まで足掻いてみろ、諦めるな。それで上に行って、もっと多くの人を守れる警察官になれ」と言って、背中をどついてくれるかもしれません。

景光と松田、萩原、伊達の4人の後押しを受けて、降谷零は断念した大学進学をすることを決めます。いつかはわかりませんが、年度内に警察官を一度辞めることになります。

翌年、降谷零は大学に無事合格し、ぎりぎりの生活をなんとか維持し続けます。

警察庁インターンへ行き、国家公務員一種に上位で受かり、無事にキャリア組警察官としてのスタートを切り、警察大学校へ行き……そして29歳までに警視となるわけです。

ちなみにこの『もっと多くの人を守れる警察官になれ』が、僕の恋人はこの国さ、というストイックさに繋がるのかもしれません。

 

高卒で警察学校入学→1年以内に警察官を辞める→大学に進学して国家公務員一種に合格する→キャリア組警察官になる

 

このコースなら降谷零の経歴を矛盾なく説明できます!!

 

<追記 2019.4.5>

コミックスで、高木君が伊達さんに「警察学校の成績もトップだったって聞きましたよ?」と言ったら、伊達さんが「バーカ!そいつはガセネタ。俺はいつも2番だったぜ……」というシーンがあります。

このことから、警察学校卒業前に降谷零が警察学校を辞めていた可能性が高いです。

降谷零が辞めたことで伊達さんがトップになり、事情を知らない周囲は伊達さんをトップだったと言うようになります。

けれども伊達さんにとってのトップはやはり降谷なのです。

<追記終わり>

 

ということは、大学生の降谷零と、警察官の4人のお友だちという不思議なグループが誕生するわけですよ。

大学生の降谷零は警察官組と夜に会うときは、毎回必ず「ちょっとそこの君、止まりなさい。今何時だと思っているわけ?はい、学生証出して。お父さんの名前言える?おうちの電話番号は?」という補導ごっこをされたり、昼間に会うと「荷物確認してもいいかな~?忙しいのにごめんねお兄さん~」って職質ごっこをされたり、任意同行だ!と飲み屋に連れて行かれたりと、素敵な学生&警察官生活が待っているわけですね…!

ゼロティ警察学校編で、降谷零が諦めた大学進学をもう一度目指すまでのきっかけが描かれているとしたら、あまりの切なさに死んでしまいます……でも読みたいです……待ってます……でもこれ全部ただの妄想なので、全然違っていたら指差して笑ってください。